昭和五十六年十二月十二日 朝の御理解
御理解第八十一節
「氏子、十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。
十里を登り切って向こうへおりたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ」
九里半登っても後もう少しという所で後もどりをしたり落第をした、向こうへおりたらそれで安心という所まで頂いた時、私はあのお徳を受ける世界がそこからあると思うんです。難しいというならやっぱりそういう過程も通らせて貰うという事が難しいというのじゃないでしょうか。
それでも、合楽理念に基づく稽古をさせて貰いよりますと、そういう時でもそこを有難く受け抜けていける手立てが合楽理念に解いてありますから、それを日々実験実証、いやそういう時の為に本気で実験実証さして頂いとかなきゃならんと思うですね。
昨日、ある婦人が熱心にお参りして見えます。もう本気で合楽理念の実験実証者です。日々、そういうおかげを頂いておる。十日の月次祭に昼もお参りをしておった。それで、今晩は月次祭ですからと主人に言うたら、また参るかとは言わなかったけれども腹を立て、この人は非常に腹を立てられる御主人で、いわゆる癇癪もちなんです。したら壱万円やれち言われたから、まあ壱万円あげてそして自分は月次祭のおかげ頂いて帰ったら、主人がその壱万円でまあ飲みに行ったか何かだろうけども、まあ馬鹿らしいと思われたか何かでしょう、そのまま帰ってきて家内が帰って来るのを待っておられた。ほいでまあ、癇癪が起こってそりゃもう暴力をふるわれるんですね、いつも、そしてもう出ていけという、ほいでもう寝巻のまんま外へ出されて寒い中に二時間御祈念させて貰いましたち言う。そしたら、ちょっと心配になられたようでその奥さんの名前を呼んで、叫ばれてから入らせて頂いて、そして本当、家の中の有難い事、布団の中の有難い事が改めて分かりましたというたら、もうお前ばっかりはもうというてまあたまがられたとこういう。そして、もう明日は参らんじゃろねとこう言われたけど、いいえ参らせてもらいます。又も次々と十三日会、又大祭の御用と続いておりますからどうしてもお参りさせてもらわにゃ出来ませんからとまあ申しましたら、その事に対しては主人は何とも申しませんでした。というお届けをさせて頂よりましたら私の御神眼にね、もうそれこそあんな見た事ないけん、まさしく食べられる茸。それがもう見事にこう木のちっと腐ったようなぞっこり椎茸のようにですね、あの生(オ)えておる所を頂いたんです。
普通でいうならば、こういう時がもう九里半登った時、もうきついもう頂上がそこに見えておるという時ほどきつい、ね。
なら、信心させて頂いとっても様々な事がある。それこそ心が腐るような時もありますよね。けれども、心が腐る、心が暗くなるといった様な時を大事にする人が、私はこの九里半の坂を向こうへ登り切る事じゃないかと、もう心が腐る、心がもうクサクサしたというてまあいうなら楽な方へというか、まあ男なら酒でん飲みに行くとか何かというような事じゃったら、いつまでたっても九里半から向こうへおりる事は出来ませんね。
そういう時に、いわばおかげで家ん中の有難さが分かりました、布団ん中の有難さがいよいよ分かりましたと、そういう事があった後にそういう心が起こってくるという事は、まさしく腐った心にいうならば素晴らしいなばが生えたようなもんじゃないでしょうかね。腐ったなりでね、クサクサして、例えば他のもうモヤモヤしたというてそのそこから落ちていく人ね、そして又ほんなら、あーこんなこっちゃいかんやったというて帰って来ても、それはいつまでたっても九里半から上に登る事は出来ませんね。
だから、私は今日のここん所の御理解はここを大切にして向こうへおりたら安心じゃとおっしゃる所が私、お徳を受ける世界というのはそりから先だというふうに思うんですね。信心のいわば微妙なものであるという事、それはそういう中にあっても日頃稽古しとりますと、いうならば御礼の方が先に出てくる。そういう稽古を常日頃しとかなければ、いわばね折角九里半まで登って又元に戻ってしまうような事ではね。けども、そういう人が大体多いのではないでしょうかね。
そこをいうならば合楽理念に基づくと、有難く頂ける手立てを常日頃稽古しておりますからね。いうならば神様はそれがお試しやか知れん。その神様の試験やか知れん。その試験に合格する、不合格、お試しに落第するという所から、そこを抜け切っていく為の常日頃、只有難い時だけの稽古ではなくて、どういうような場合であってもそういう受け方が出ける。これは信心がなかったら、まあひょっとすると馬鹿みたいなかも知れませんですね。腹を立てるのが当然当たり前のように思いますけども、そこが私、日頃の信心にいよいよ物言わせる時である。
そういう時に言うならば、九里半がいうなら十里の坂を登り切った時でありね、そういういよいよん時、力を受けるんだな。徳を受けるんだな。そういう時に素晴らしい、いうならなばが出けるか、そのまま腐ってその又元に戻るかの境の所をいよいよ大切にしていかなければならんと思うですね。どうぞ。